自分のやりがいよりも大事なもの

私はもう成人後期。エリクソンの発達課題においては、世代性あるいは停滞の時期です。自己愛から脱却し、社会的責任のもと、育成、伝承の意識をもって、生活を営む時期です。

これまでに生んだもの、つくったものに対して責任を持ち、求められることによって、それを惜しみなく与え、それを与えることによって、再度求められるといった、循環を意識して生活をする時期だと思います。

そうした生活のためには、自分のやりがい・生きがいよりも、社会が何を自分に期待しているか「メタ認知」できていることがベースにないといけません。成人前期にそれに気付けた人と、そうでない人は、この辺りで差が出るのかもしれません。

もっぱら最近はテレワークになり、自分の部屋を片付けたりする時間もあったりですが、先日片付けていると、だいぶ昔、養老先生と対談した記事が出てきました。

 

 

 

 

あたらめて読み直すと、養老先生が引用されたものに、先に示した育成の意味を見出すことができました。

 

 

「他人が自分の意味を発見する手伝いをすること」、これが自分の一生の仕事(ビクトル・フランクル)。

 

教育にしろ、実習指導しろ、子育てにしろ、文化伝承にしろ、それは、わたくしにとってのメリットデメリットでなく、人間として生まれてきた証・権利でないかな、と思ったわけです。

 

当時、私は30代、軽い軽い。今は少し重くなったのではないか、と思ったりしています。この記事を60代に見直して、軽い軽いと思えば、私は自分の人生を肯定できているのかもしれません。

 

森岡 周

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