私たちは日常で何気なく「正義」という言葉を使います。その背後には、「自分こそが正しい」という無自覚の確信があります。
しかし、歴史や現実の社会を見渡すと、正義はしばしば揺れ動き、状況や立場次第で容易に姿を変えてしまいます。
『アンパンマン』の作者であるやなせたかしさん(私の高校の大先輩:高知県立高知追手前高等学校、旧制・城東中学)は、そんな正義の危うさについてこう語っています。
「正義はある日突然逆転する」
やなせさんは、絶対的な正義というものが存在しないことを、自らの戦争体験を通じて痛感していました。
正義や道徳性について、心理学は深い洞察を与えています。
コールバーグの道徳性発達理論
幼い子どもは単純に「良いこと」「悪いこと」を判断しますが、成熟するにつれて社会のルールや普遍的な倫理を理解するようになります。しかし、こうした理論的・抽象的な正義観には限界もあります。
キャロル・ギリガンの「ケアの倫理」
ギリガンは、従来の抽象的で規則重視の「正義の倫理」に対し、「ケアの倫理」を提唱しました。彼女は、人間関係において重要なのは、抽象的なルールに従うことよりも、他者の状況や感情に共感し、その具体的な苦しみやニーズに応じて行動することだと主張しました。ギリガンによれば、倫理的成熟とは他者への配慮や共感を通して行動できる力であり、ルールに盲目的に従うことではありません。
やなせたかしさんの思想は、このギリガンの主張する「ケアの倫理」と非常に強く響き合っています。
西洋哲学の中でも、特にエマニュエル・レヴィナスは他者との具体的な関係を道徳の中心に置いています。
レヴィナスの「他者への責任」
他者との出会いは、私たちに無条件の責任を課します。彼は抽象的な正義よりも具体的な他者との関わりを重視しました。
東洋思想でもまた、正義は抽象的な規範ではなく、他者に寄り添う心のあり方に求められています。
孟子の「惻隠(そくいん)の心」
孟子は、他者が苦しむ姿を見て自然に心が痛む、この人間本来の共感を道徳の源泉と考えました。
仏教の「慈悲(じひ)」
他者の苦しみを和らげ、喜びを与えることを最も重要な倫理的行為と位置づけています。
やなせさん自身の戦争経験から生まれたアンパンマンは、まさに具体的な共感と責任を体現しています。
「飢えている人にパンを与えることこそ本物の正義だ」
アンパンマンの行動は、抽象的な理論や規則ではなく、目の前にいる困っている人への純粋で自己犠牲的な助けです。
正義は、時に相手を傷つける「諸刃の剣」となります。自分の正しさを主張するほどに、他者を理解しようとする心の余裕は失われてしまいます。
私たちが心に刻むべきは、「正義」の背後に必ず共感と優しさがなければならないということです。
やなせさんが私たちに残したメッセージは、
「正義とは大げさなものではなく、目の前の誰かを小さくても確かに助けること」
という深い倫理観でした。
私たちもまた、アンパンマンのように、自らの優しさと共感を、小さくても確かな行動に変えていきたいものです。
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