振り返ってみて

今、2005年に出版した「リハビリテーションのための認知神経科学入門」の改訂をしています。改訂といっても元の原稿はもはや跡形もなく新著といっても良いです。この本は第1部と第2部で構成される予定で、ちょうど今第1部では最終となる章「自己意識」に関する内容を書き下ろしています。その冒頭は、Williams Jamesの自己に関する記述、I(主我)とme(客我)の違いになりました。ここではその説明はせずに、それは新しい本を買っていただき確認していただくとして、最近facebookに過去の記事がfeedbackされてきました。それは大学図書館のリーフレット掲載のために記述した「大切な私の1冊」というリレーエッセイ である。そこには以下のような記述がある。
————————————————————————————————————
「大切な私の1冊」というテーマは厄介だ。依頼を受けた時、そう思ったのが率直なところである。だから、短文でありながらも締切日まで書くことができなかった。というのは、私の志向性に影響を与えた本は数多い。ギブソン、バレラ、ジェームズ、フッサール、メルロー=ポンティ、ピアジェ、ヴィゴツキー、ルリア、サックス、佐伯胖等々、ここには挙げきれない。その中で最終的にこの本に決断した(決断された)。
私の研究は代謝、生体力学、知覚、そして脳とこころと、これまでその移り気な性格から変遷してきた。内臓や力学を対象としていた頃は、現象は全て数値で示すべきと豪語していた。しかし、ある身体現象を眼前にした時、私は還元的な数値にはかられない世界観に心奪われたのである。だから、知覚を対象に研究しようと決断し、現象学、心理学を中心に手当たり次第に本や論文を読んだりした。しかし、それまでの価値観の自分にとっては曖昧かつ難解で悶々とする日々をすごしていた。その迷走中の自分にレールを敷いたのが、このウィリアム・ジェームズの「心理学」である。
彼は「生理学と心理学・哲学の間の最初の思想家」と称されるように、この本は感覚、神経、意識、自我、注意、概念、弁別、記憶、想像、知覚、推理、情動、本能、意志等、驚くべきことに現代の学際的な脳科学の方向性を暗示していたような目次に分かれている。こう考えれば、この本に出会ったことが今の自分の脳−身体−環境をシステムで捉えるといった志向性、そして脳科学とリハビリテーション・教育の間の自己意識を生み出したのではないかと、この原稿を書きながら思う次第である。

大切な私の一冊
「心理学(上)」「心理学(下)」
W・ジェームズ著(今田 寛訳)
岩波文庫,1992


————————————————————————————————————-
この記事を書いておおよそ7年、まだJamesの書いた本の質感には届いていないようです。書いても書いても「まだまだ」と思うわけで、そういう意味で長生きはしたいものと、最近しみじみ思うようになった次第です。Damasioの言う「自伝的自己としての私」としては、原著論文を執筆するよりも単著を執筆することの方が、人生の「重さ」を感じるわけです。

 

森岡 周

PAGE TOP