「アンニュイ」の正体

今の心情はというと、少し下降気味な感じであることは否めない。理由を後付け、紐づけると、色々出現してくる。先月、大きな責任ある複数の仕事が決着したこと、などに。

 

けれども、30代の時と明らかに違う「アンニュイ」な意識が起きはじめている。なんというか脱力というか、退屈というか、なんとも言い難い気持ちである。この歳になって倦怠感とは思えないが、どうやら、特には「掲げていなかった人生のゴール」が目前に迫ってきたのではないかと、自己を自分自身が達観ししつつ、メタ認知的に考察したりしている。それは仕事というより、種の保存のゴールである。

 

魚のように卵を大量に産んで保存するという戦略を人間はとらない。先進国と発展途上国を比較すると、明らかに先進国は親が育てる子の数が少ない。新興国となった国は、途上国時代に比べると圧倒的に育てる子の数が減ったことも事実として認識されている。それは、たとえ子が一人であっても、種が保存、家系が維持されていくことを知っているからである。つまり、(種の保存の)安全の意識が背景にある。そして、少ない子に対して、めいっぱい恩恵を与えたほうが、うまく、豊かに、その子が生きていくことを暗黙的に知っているからでもある。つまり、子育てにおいて、「長く教育を受けさせる(一人にお金をかける)」といった戦略を、現代の先進国の親はとっているわけである。

 

私には二人の子がいるが、一人は独立し、もう一人はあと一年ちょっとで独立する。「子のためだけに働くわけではない、家族や、自分や、世の中のためにだ」と豪語しながら、私自身、これまで仕事に昼夜問わず熱中し、子育ての量を少なくしてきたわけだが、いざ子離れ、親離れが目前にきていると、なんともその豪語した気持ちが本当だったのか、と思い始めている。社会のためという意識よりも、やはり、自己の種の保存の意識の方が強かったのではないか?その答えはなかなか導けないものの、そろそろ人生のゴールを変え、今こそ、自己の経験をつくるから、自己の経験を活かすといった結晶的知能を活かす方向に舵をきらないといけないのではないか?その分かれ道が近くなっているのではないかと思ったりしている。

 

森岡 周

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