第20回日本神経理学療法学会学術大会企画書
開催趣意
1965年(昭和40年)6月29日に「理学療法士及び作業療法士法」が制定され、理学療法が定義された。この定義において、理学療法の目的は「基本動作能力の回復」、対象は「身体に障害がある者」、そして方法は「運動療法あるいは物理療法」と明記されている。それから時代は平成を経て令和へと移り変わり、介護保険分野への参入等から、理学療法の目的には予防も含まれ、対象とする疾患・障害等は多様化し、方法はテクノロジーの進化に伴い増加あるいは細分化し、もはや上記の定義にはおさまりきれてはいない。
本学術大会のテーマには「我々は何者か、どこに向かうのか -決別と融和、そして創発へ-」を掲げた。言わずと知れたポール・ゴーギャンの絵画「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか(ボストン美術館蔵)」に対するオマージュである。この絵画は人間の一生を比喩して描かれたものであるが、神経理学療法は「どこから来て、どこに向かうのか」、そして、そもそもそれは「何者なのか」、それらの問いに対して、本学術大会での議論を通じて答えを導きたいと考えている。
また、サブタイトルには「決別と融和、そして創発へ」を掲げた。我々人間は、しばしば原点回帰しつつ、成長・進歩しているかを内省する。成長は時に不連続性を伴う。それゆえ、一度培ってきたものをリセットし、時折、決別するタイミングが求められる。神経理学療法分野では、これまで流行のようにして治療理論・手技が輸入あるいは開発されてきたものの、それがどのような病態に適応し、どのようなことに限界があるかといったエビデンスに関する明確な議論のないまま、信念対立の果て、あるものは廃れ、あるものは残り続け、今日に至っている。そもそも、これらの開発の目的は、「神経障害の人々を救う」ことであったはずである。「我々は何者か」、今一度そのスタンスを本学術大会で確認し、「我々はどこに向かうのか」について融和を図りつつ、共有意思決定する場にしたいと考えている。一方で、異なる経験から、違った意識や信念を持っているからこそ人間であると言えよう。その異なった意見を学術大会という同じテーブルで表出し、新たな知を創発する場としたい。
理学療法分野における共通認識は、適切な評価に基づき病態を捉え、その病態に応じた理学療法を提供することである。これは不易の教えとすべきものと言えよう。しかし、その教えの水準が曖昧で、何が標準的な知識であるのか、いまひとつ定かでない。そこで本学術大会では、ガイドラインの意識づけ、共通アウトカムの意識の徹底、標準的知見および共通言語の確認、そして、標準的神経理学療法の定義づけを行いたい。
このような趣意に基づく記念すべき第20回学術大会において、参加者の皆様と「なぜ神経理学療法があるのか?」を再確認したいと考えている。
令和2年4月1日
第20回日本神経理学療法学会学術大会
学術大会長 森岡 周
TAG