西上 智彦 さん

森岡 西上先生お久しぶりです。あ、ではないか?会議で毎週あってるよね(笑)。

西上 はい(笑)

 

森岡 ここではプライベート的な、仕事的な、会議では話せない、どっちつかずの話を伺いたいと思います。

西上 楽しみにしています。

 

森岡 いきなりですが、出会いはいつごろでした?

西上 え〜と、もう15〜6年前になるんじゃないですかね?自分が、当時、高知大学医学部附属病院に勤務していた時です。

 

森岡 高知大でしたもんね。

西上 はい。当時、在籍していた野村卓生先生(現・関西福祉科学大学教授)に誘われ、「今度有名な先生くるから一緒に飲まないか」と言われてご一緒させていただきました。先生は覚えてないと思いますが(笑)。

 

森岡 はい(笑)。その時は、榎 隼人先生(現・徳島文理大学教授)、野村先生と3名でやってたとき?

西上 はい。その時です。ちょうど高知大にきて2年目ぐらいです。

 

森岡 そう思えば、高知大出身はみんな研究者になったよね?

西上 はい、そうですね。

 

森岡 野村先生も榎先生も、そして私のバンド仲間だった山本昌樹先生(現・姫路独協大学教授)も、そして西上先生も。

西上 みんな教授になりましたね(笑)。

 

森岡 その時は、確か、大阪のしまだ病院からの異動でしたよね?なぜ生まれ育った大阪から高知に?

西上 実は実習が高知大だったんです。それでちょうど声がかかって大学病院で仕事をしようと思い、決心しました。

 

森岡 高知大には何年いました?

西上 8年です。

 

森岡 さっき話した山本先生との入れ替わりで入職されたんですね。その頃、私はまだ高知で。高知大学に統合される前の高知医科大学の大学院に通っていました。ちょうど博士論文の副査の一人が、整形外科教室教授の谷俊一先生でした。その時、西上先生の恩師の牛田享宏先生(現・愛知医科大学教授)は高知でしたよね?

西上 はい、牛田先生が整形外科教室の講師の時です。谷教授の教授回診の時に、牛田先生と痛みの話になり、興味あるのであれば、「今度、岡崎の生理学研究所の研修会に一緒にいきましょう!」と声をかけていただきました。

 

森岡 柿木隆介先生がやられた時ですね。いつ何時、研究の道が開けるかわかりませんね。

西上 はい。実は痛みの研究の前は、加速度計とか筋電図の研究もやっていました。

 

森岡 はい、誰しもが通ったりする道ですね。

西上 先生が昔やられた、重りの筋電図の研究も読みましたよ。

森岡 懐かしい。今、それらを再考しています。

 

森岡 そこから痛みへ。なぜ?

西上 高知大の前に勤めていた、しまだ病院の時は、スポーツ整形外科の患者さんを中心に診療していました。今ではいえないぐらい、1日で多くの患者さんをみていましたが、一部あまりよくならない患者さんがいたのです。それが痛みを有した患者さんで、そのことを牛田先生に相談すると、興味をもってもらいました。

 

森岡 で、西上先生には畿央大学でも講演をしてもらったりしましたが、痛み系での出会いは、確か、鈴木重行先生が主催していたりした「痛みの理学療法学研究会」ですか?

西上 いや、違います。「痛みを基礎から臨床まで考える会」でした(笑)。

 

森岡 あ、そう。それは失礼。自分が役員とかでなく、講師で呼ばれたりした時かな。それが一般社団法人日本ペインリハビリテーション学会になるとはね。

西上 はい。歴史ですね。

 

森岡 当時は、カラオケボックスとかのスクリーンに、スライドを流しながら、ビール片手に討論する型破りな会でした。松原貴子 現理事長らしさですね。

西上 飲み会があっての、この学会かもですね。

森岡 西上先生も今ではその学会の副理事長です。人生はわかりませんね(笑)。

 

森岡 え〜と、大学院のスタートは高知大ですか?

西上 はい。修士課程は高知大で、その時の指導教員は谷先生で、実質の指導は牛田先生でした。また、解剖学の先生に実験の組み方を教えてもらいました。ラット実験でしたので。

 

森岡 解剖学の先生は由利和也教授?

西上 いや、現在の准教授の大迫洋治先生です。その時、「研究は創意工夫や」と、大迫先生に叩き込まれました。

 

森岡 基礎実験で実験系をちゃんと組んでいたこと、そこが重要ですよね。

西上 はい。厳しかったです。厳しいからこそ、しっかりしたものができると思っています。そこに食らいついていくことが、まさに成長のプロセスですよね。

 

森岡 その後、牛田先生が愛知医大にいかれますが。

西上 はい。私はその1年後に甲南女子大学にうつります。ちょうど33歳の時です。

 

森岡 え、私も畿央は33歳着任。もう16年以上いることになります。長くなりました。西上先生が着任されたばかりの時、「関西りょうま会が」ひらかれましたよね?

西上 はい。あの、「はちゃめちゃ飲み会」です。

 

関西りょうま会  なぜか西上先生はいない・・・

 

森岡 第1回目は、梅田の土佐料理・司でしたよね。高知ゆかりの人間の関西のつどいということで。

西上 はい。その後も毎年しばらくは続きましたね。

森岡 いや、これからもあるよ。たぶん(笑)。

西上 私は中国ですので。。こ勘弁を(笑)。

 

森岡 その会は、関西福祉科学大の野村先生が幹事のようなもので、同じ大学の重森健太先生、大阪労災病院の浅田史成先生、そして兵庫医療大から順天堂大にうつられた森沢和之先生など、みんなご活躍中で頼もしい限りです。

西上 いつの間にか、皆さん重職につかれていますよね。

森岡 西上先生も(笑)。

 

森岡 ところで博士課程は愛知医大ですよね?

西上 はい。牛田先生に指導を仰ぎ、いくつかの研究を併走させていました。博士課程在籍中には国際論文としては3編公表しました。

 

森岡 確か、博士学位論文も動物実験だったと思いますが。

西上 はい。痛みに関連した動物実験です。また、脳波研究も実践し、その際、先生がご指導されていた中野英樹(現・京都橘大学准教授)先生にもご協力いただきました。

 

森岡 博士課程修了後、うまく研究グループをつくりましたよね?

西上 はい。仲間のおかげです。その一人は壬生 彰 君です。彼が田辺整形外科に異動した後、臨床研究がすすんでいきました。実は、田辺暁人先生は高知医大時代、恩師の辻下守弘先生(現・奈良学園大学教授)と一緒に働いていて、その関係なんです。

 

森岡 あ、そうなんですか。これまた高知医大。仲間を形成するのに秘訣は?

西上 飲み会をしっかりやることです(笑)。

森岡 壬生先生の論文は最近おもしろいですよね。

西上 はい、彼は大阪大学の寒重之先生に指導されていて、そのように複数の人に指導されることでスキルを磨いています。

森岡 確かに。それは一理あります。

 

国際学会で壬生君と。

 

森岡 で、今、県立広島大学に教授としてうつられ、甲南女子大時代にはかなわなかった大学院教育をできるようになりますか?

西上 はい。私の母校です。私はその前身の広島県立保健福祉大学出身です。私の前後の先輩後輩は尊敬できる方が多いです。その伝統を守り、発展させていきたいと考えています。

 

森岡 その年代、知っている限りだけど、みんな頑張ってますよね。

西上 はい。日本バプテスト病院の浅野大喜さんとか、京都大学病院の南角学さんたちは先輩です。

森岡 摂南総合病院の奥埜博之先生は同級生ですよね。今度、日本神経理学療法学会学術大会ではお世話になります(笑)。

 

森岡 そういう意味では、当時の教授、助教授であった、鶴見隆正先生、川村博文先生、辻下先生、沖田一彦先生は、まさに教育者の鏡だよね。最近、研究所で研究している研究者でなく、大学で研究している研究者は、「教育研究者」であるべきと強く思っています。芽をどれだけ出すか、期待していますよ。

西上 はい。当面の目標は、現在、うちの大学は修士課程までしかなく、博士課程を築くことです。

森岡 そのためには教員の業績が必要ですね。

西上 はい。速やかにそれは準備しないといけません。大学としても。

 

森岡 今、そしてこれから目指していく運動器理学療法研究の展望をお聞かせください。

西上 私たちは今、介入研究の重要性をあらためて感じており、それを実行に移しています。これは日本の運動器理学療法研究の問題でもあります。介入研究、そして、傾向スコアでもよいと思うので、効果検証をおこたらないこと、これを常日頃思っています。そして、ルーチンに、論文を書き投稿しているところです。

国際疼痛学会でのチーム西上

 

 

森岡 日本発信の成果が必要だと思います。いつまでも輸入に頼らず。日本全体でプロジェクトするものと、個別にやるもの、両方走らせていかないといけませんね。その際、アウトウトカムをシンプルに、が基本だと思います。

西上 はい。そういう意味で標準的な評価バッテリーが必要だと思い、これまで評価バッテリー研究を進めてきましたが、これからは、いよいよ介入研究をすすめる時だと思っています。

 

森岡 そういう意味では、運動器理学療法も個別な技術一辺倒の時代からシフトする時にきているように思えますね。

西上 何も実績を持たない発言は信用されないため、ある程度、信頼を得るような仕事、実績が必要だと思い、これまで取り組んできました。これからはしっかり発言しないといけないかな、と思っているところです。そういう意味では、森岡先生の行動とか、神経理学療法の動向とかは参考にしています。

森岡 定期的に何かコラボできればいいですよね。

 

森岡 そのほか、何か運動器理学療法に必要なことは?

西上 これまでの運動器理学療法の研究は、メカニズムによってしまった傾向があります。それは自分たちの反省、も含みます。自分もバイオメカニクス研究や、筋電図研究をしてきました。先生もですよね?

森岡 はい(笑)。

西上 そして、痛みもメカニズム研究がクローズアップされてきました。

 

森岡 私もそこには危惧することが多々あります。サイエンス研究が進んでも、トランスレートできないものは、本丸の理学療法やリハビリテーション医療に貢献できない。そして、サイエンスの知見がむしろ〇〇理論や〇〇手技に勝手に翻訳され、都合のように解釈されてしまっている点は、そろそろメスをいれないといけないところだと思っています。

西上 はい。運動器理学療法もまさにそうで、やはり、介入研究を行うと共に、先生も常日頃言われている「病態を捉え、それに基づいて介入」することを定着するよう働きかけないといけません。そして、傾向スコアマッチングなど、レトロスペクティブでもよいので、効果検証を続ける必要があります。そういう意味で、評価の標準化は、まずもっての課題だと思っています。

 

森岡 そうですね。我々はメカニズム屋ではないので。

西上 先生にも功罪がありますよ(笑)。

森岡 もちろん重々承知しております(笑)。ただ、脳卒中リハをやっているのに、脳のことを全く知らずに実践していたことへの問題提起はできたかな。時代は確実に変わっているので。そういう意味で次の10年が大事になってきます。業界内をみわたすと、日本からも、多くの優秀な研究者が、世界に向けて発信しているので。彼らの仕事をフューチャーし、チーム日本でいろいろつくっていかないとですね。そういう意味では、西上先生世代は、重要となります。今後の活躍を期待しています。本日はありがとうございました。

西上 ありがとうございました。

 

 

西上 智彦(にしがみ ともひこ)さん:県立広島大学保健福祉学部理学療法学科 教授

記事:疼痛リハビリテーションの進展

 

(注1):理学療法士などリハビリテーション医療関係者で、高知出身あるいは高知にゆかりを持つ関西在住の者(ある年代層)での集まり。単なる飲み会。。

 

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