森岡 教授就任祝いの一年ぶりですね。前回長崎大学の沖田実さんをインタビューした関係で、実つながりで(笑)。
山田 それは大変光栄です(笑)。そして、その節はありがとうございました。
森岡 そっちが夜間大学院なので、ランチ祝いでしたが。飲みに行きたかった(笑)。
1年前、教授就任祝いにて(池袋)
森岡 さて、今日は適当にインタビューさせてもらいますが、よろしくお願いします。
山田 お願いします。
森岡 もうだいぶ前ですが、最初の出会いの印象は?
山田 私がPTになったばかりの兵庫リハセンターで行った研修会だった?と思います。
森岡 そうそう。後ろに座っていた記憶が。もう20年ぐらい前でしょうか?
山田 あ、そうです。香川先生(注1)とか木俣先生(注2)とか覚えています?その時お世話になっていて、香川先生が「今度有名な先生くるから、なんかの仕事やるから、話聞いていいよ」って言ってくれて、確か、後ろで照明係していました。
森岡 その時、話し、しました?
山田 はい。その時、僕、はっきりと覚えてるのが、森岡先生が他の先生の講義を聞いた後に、「俺と比べたら、あいつら、話にならんやろ」とおっしゃってました(笑)。すげ〜人おるなあ、と思いました。
森岡 私、30前半ですね。。若気の至りってコワイです(笑)。ほんまダメです。お恥ずかしい。今は少しはマシになっています。その時自分はまだ高知だったのかな?
山田 僕は20代前半ですからね〜
山田 若い時って得体のしれない向上心ってありますよね。その時は、お金かけずに何か学べるんだったら、って感じで参加したのを覚えています。
森岡 その時、もう大学院に入ってたんだよね?神戸大学大学院、平田先生の研究室?すぐ大学院?
山田 そうです、そうです。大学院にすぐにいくと決めてました。なんとなく向上心があったんです(笑)。
森岡 なんで研究とかに興味が出たんですか?
山田 小中高と特に勉強面白く感じなかったんですよ。でも、不思議と生理学や運動学の勉強が面白く感じて、覚えると言うより、理解するという方が当時はよかったんだと思います。
森岡 20年ぐらい前。まだこの世界が曖昧で不確かだったよね。今もそうかもしれないけど。
山田 シンプルに、純粋に、大学院とか、そんな研究の世界に足を踏み入れたいと思ったんですよね。トップランナーになろう!偉くなろう!、なんて、これっぽっちも思っていなかったんです。でも今になって、その当時を振りかえると、「なんであんな生活ができたのかな」と思います(笑)。今は毎日8時間は寝ていますが、あの頃は毎晩遅くまで起きて勉強していました。よくあんなに寝ずに頑張ったな、と不思議に思っています。
森岡 いや〜、若い皆さん、素晴らしい話を聞きました(笑)。
山田 いやいや、昔がんばったから今があるみたいな話ではなくて、ただただよく寝ずにいられたな、というぐらいですよ。本当に今はたっぷりと睡眠時間を確保しているので・・・。
森岡 生理的限界だね。まさに。心理的限界でなく(笑)。
森岡 自分も30前半ぐらいまでは、毎朝の4時ぐらいまではやってたかな。朝日を職場で見て帰ったりしてたんで。その時は、1回家に夕食、子供の世話に帰って、また職場に戻ったりしてました。
山田 先生と比べたら全然ですよ。でも、寝る間を惜しんで苦しみながらやっていたというよりは、ただ楽しかったんです。当時は、大学の職員になって、1日中勉強の時間にさきたいと思ってました。
森岡 僕もそうかな。1日中その時間にさきたいと思ったけど、現状はそんなに甘くない(笑)。
山田 はい、そうです(笑)。
森岡 それこそ山田先生が研究始めた頃からの研究内容の変遷は知っていますが、当初から介護予防の研究ではなかったですよね。
山田 色々と経験させてもらいました! 今、大学院生を指導してても思いますが、若い時は何が向いているとかわかんないじゃないですか、そう言う意味で基礎、疫学などなど、若い時に色々経験することが大事じゃないかなと思っています。私も十分な経験をしてきたわけじゃないですが、やってみないとわかんない面白さがあると思っています。
森岡 自分は、最初、透析の研究をしてたんですが、特に「これ」と決めたわけでなく、ただそこにいて臨床の延長線上で、データを記録して、検証作業をして、それをみていた先輩に背中を押されて学会発表したのがはじまりです。けれど、そのプロセスがとても面白かったんでしょうね。今も続けているわけだし。
山田 そうですね。環境も大事ですよね。今置かれている環境で、何ができるか?という感じで。
森岡 たまたまそこにいて、たまたまそれをやって、たまたまこうなっている、というのが本当のところじゃないかな。
山田 実は、老年学とか介護予防とかにまだ興味がない頃、介護予防のモデル事業で誰か行かないといけなくなって、結局僕が行くことになったんですよ。その当時はめちゃくちゃ嫌で、恥ずかしい話ですが、PTになりたいと思ったのはケーシーを着たかったんですよ(笑)。
森岡 わかるわかる。当時のその感じ(笑)。
山田 介護予防事業はポロシャツを着ないといけないわけで(笑)。けど、行ったからこういう世界があるんだと知り、自分が想像してたのとは遥かに違っていて、大事なんだなと思ったわけで、あそこで行ってなかったら、今、こんな研究をやっていないかもしれません。
森岡 それが、今の研究の源流になって、そろそろ大学へ出ようと思ったわけだね。
山田 その時を振り返ってみて、あの頃って大学が徐々にできてきて、一方で、もうそろそろできなくなるよ、とも言われてた頃で。自分と同い年のものが助教とかで入職しはじめて、羨ましいな〜と思ってた頃でした。
森岡 本音で言えば、あるよね。自分もそういうのあった。
山田 (今もそうなんですが)大学は問わず、とにかく時間が欲しかったので、どこでもいいから早く行きたいって気持ちでした。
森岡 その悩んでいた時、電話もらったの鮮明に覚えています。だってこっちは湯布院の温泉につかってたときだったので(笑)。
森岡 共通の友人では樋口さん(注3)を出しておかないと(笑)。
山田 まだ京大に行く前でした。あの頃はバカで、いや今でもバカですけど、本当に失礼極まりなく気軽に連絡をとってしまいました。けど、今思うと、臆せずに樋口先生にも森岡先生にも連絡とらせてもらったのがよかったのかもしれません。
森岡 樋口さんはカナダから戻ってきたばっかしだったよね。
山田 そうだと思います。今も樋口先生とは良いお付き合いをさせていただいていて、大型の研究費の研究もご一緒させていただくなど、縁を感じています。
森岡 転倒の研究が中心だったけど、介護予防関係やフレイル・サルコペニアにシフトしたきっかけは?
山田 それは現在、国立長寿医療研究センターの理事長をされている荒井秀典先生との出会いです。荒井先生とは京大に着任してすぐに出会い、老年学の勉強をさせてもらい、それから一緒に仕事をさせてもらいました。それまでは、口では世のため人のための研究って言ってましたが、所詮自分のためでしかなかったものが、荒井先生とご一緒させて頂くようになって、本当に世の中のこと、政策のことも考えるようになりました。それはそれでやりがいを感じるようになったわけです。そして、キャッチーなものよりもベーシックなものがもっと意味があると思うきっかけになりました。
森岡 いいこという〜
山田 いやいや、やめてください。
森岡 それが転機だったんですね。
山田 私は人との出会いに恵まれていて、会う人会う人に良いきっかけを頂いたんだと思います。
森岡 いやみんな大なり小なりそういう人に出会えているんだけど、それに気づくか気づかないかの差だと思う。正確に言えば気づこうとするかしないか、かな。その時、何歳ぐらいでした?
山田 28か29かだったと思います。
森岡 ちょうど12年前ぐらいかな。
山田 そうですね。荒井先生のサルコペニアやフレイル研究のお手伝いをさせていただきました。その経験がすごい勉強になりました。
森岡 お手伝いをしていた時代ですね。
山田 いや、一生お手伝いというか、まだまだご指導頂くつもりでいます(笑)。
森岡 たまたま自分がそのようなことをするのが苦にならなかったんでしょうね。
森岡 ところで筑波に来て何年ですか?
山田 7年弱です。
森岡 いつの間にか、長くなりましたね。7年経ってどんな感じですか?
山田 ここは社会人大学院で、大学4年生がそのまま受験できない仕組みなので、学生募集に苦労しています。
森岡 それであんなスタイリッシュなホームページを(笑)
山田 やめてください(笑)恥ずかしい話ですが、募集のためにで、情報発信し、多くの方に本専攻(学位プログラムと言いますが)を知っていただくためです。
森岡 それを聞いて安心しました。私学も同じことをしているので。
山田 間違って管理職になってしまったので、倍率、既定の卒業年の割合とか、などなど、色々頭が痛いです。
森岡 それ、私立大と同じだね。
山田 そこから学んでるんじゃないですかね。管理業務、勉強させてもらっています(笑)。むしろ管理するからこそ、どんどん筑波大への愛着が湧いてきています。
森岡 あるよね。管理職になると、職場、職員を守りたくなる意識。
森岡 さて、、今後25年ぐらい(笑)仕事しないといけないけど、どんな未来ですか?
山田 長いですね(笑)
森岡 では、当面の45か50は?
山田 僕自身の今の自分を表現すると、筑波大学の職員、PT協会の会員、関連学会の役員、介護予防関係の研究者でしょうか。正直、これからどういう風になりたいか見えてなくて。そもそも今の自分も5年前に想像していた感じではなく、そもそも教授になっているとは思ってなかったんで。もっと自分の好きな研究をやっているつもりでしたが、そう思えば、確実にズレたな、と思っています。ただ、東京に来たことによって、知る世界があって、物理的に様々な機関との距離が近づいたことで、様々な方と合い、様々な話を伺い、様々なことを考えるようになりました。
森岡 ちょうど厄年を超え、いろいろ考える時だと思います。
山田 はい。PT協会の方々とも話す機会が増え、すごく大変な仕事をされているんだな、と思ったのもその一つです。それまでは、周りの意見、例えば「協会は何をやっているんだ」とかに流される自分があったりしましたが、実際を知ることによって、いいことをされているんだな、大変な思いをされているんだな、と分かりはじめました。その中で自分ならいったい何ができるんだろうと考え始め、そういう世界での仕事も考えはじめました。とはいっても、一番大事なのは、お給料もらっているこの筑波大学の仕事です。大学院をもっと発展させたいと思っています。筑波は社会人大学院の第1号なのですが、転換期を迎えつつ、伝統をどう継承して、発展させていくかを考えたりしています。模索中です。
森岡 それを聞くと、自分を無理に成長させるのではなく、自分の価値を今度は人や物のために使おう、活かしていこう、いや活かしてもらおうという意識に切り替わりつつあるんじゃないかなと思ったりしています。
山田 はいそんな感じでしょか。
森岡 今までは山田実というアイデンティティをつくるためにがむしゃらに仕事をし、結果として、介護予防、フレイルやサルコペニアが自分のアイデンティティの幹になったわけで、そして幹が明確になったことから、今度はその幹を使って、枝を伸ばすことで、本当の利他行動が生まれていくのではないかと思っています。環境を整備しようとするのはまさに利他行動であるし、それはゆらぎない自己意識が存在しているからだと思います。
山田 それを聞いてですが、昨年、厚労省の介護予防に関する検討会のメンバー(注4)に入れてもらいました。介護予防は今後日本にとって重要なテーマであることは間違いないのですが、まだまだデータが不足しています。専門家の意見として、そしてきちんとデータを示して、それを制度にのせることをしないといけないと思っています。それが45あるいは50に向けての目標かもしれません。
森岡 そのためには、山田先生のこれまでの業績(業績をもった自分)が意味を持つことになると思います。そして今のポジション(大学教授としての自分)も極めて大事と思います。そして、それらに理学療法士としての自分(山田実)が加わることで、我々の仕事の信頼性を勝ち取ることができるのだと思っています。声高々に吠えても、それがないと、誰も信用してくれませんし、制度としてはなかなか通りませんので。そういう意味でとても期待しています。今後も頼みますよ。今日はありがとうございました。
同門による教授就任祝いにて
注1 神戸市議会議員。医学博士。古くからの共通の友人。当時は兵庫リハセンターの理学療法士。
注2 特定非営利活動法人リハケア神戸理事長。古くからの共通の友人。森岡の高知医療学院時代の教え子。当時は兵庫リハセンターの理学療法士。
注3 現・東京都立大学知覚運動制御学研究室 教授。古くからの共通の共同研究者。
筑波大学大学院人間総合科学研究科 山田研究室(介護予防研究室)
筑波大学大学院 人間総合科学学術院 人間総合科学研究群
リハビリテーション科学 学位プログラム 博士前期課程/博士後期課程
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