沖田 実さん

森岡:今日は盟友に登場してもらいました。互いに長くなりましたね。

お気に入りの場所・パリ・ラ・クーポールにて(2年前)

沖田:ほんとに。

 森岡:ほんのこの前、神戸で出会った感じがします。たしか、日本理学療法士学会(いわゆる全国学会)の前日に開催された理学療法の医学的基礎研究会(注1)(現・日本基礎理学療法学会)の帰り道だったと思います。

沖田:そうそう、平成10年に神戸大学で開催された第3回理学療法の医学的基礎研究会でした。

森岡:私は20代でした。

沖田:私はその4歳上(笑)

森岡:それまで、互いにロン毛だったことから、顔は知っていましたよね。

沖田:学会場で俺より今年は長いとか短いとか思っていました(笑)。

森岡:しゃべったとこはなかったのですが、沖田さんが「この後懇親会行かないの?」と聞いてきて、私は「いかない」と即答したと思います(笑)。え〜と、沖田さんがあの研究会に来た背景をお聞かせください。

沖田:平成7年頃より拘縮の基礎研究をかじりだしたので,東京で開催された第1回の研究会から気にはなっていました。ただ、研究会のメインメンバーの先生が「○○セラピー」の代表的な存在であったことから、ためらっていました。

森岡:もともとはそうでしたもんね。私もその関係者からのお声がけです。その方は最初の上司で現在はPT協会の副会長しています。

沖田:そんな折、「○○セラピー」の先生から直接電話があり、研究会の九州地区役員の打診がありました。

森岡:私は四国地区役員にどうや〜って感じでした。当時は透析患者の血液所見と運動量の関係を調べていて、そんなんで大丈夫か?っては思いましたが。

沖田:まだ、長崎大学医療技術短期大学部の助手でしたので恩師の先生方に相談し、あわせて情報収集もしていただきました。その結果、純粋に基礎研究をやりたい若手メンバーの会で「変な会」ではないということで九州地区役員を引き受け、神戸に伺ったように記憶しています。

森岡:変な会って(笑)。変な会、今もいろいろできてますよ、失礼。

沖田:第3回の研究会は神戸大学が主幹校でしたので、事務局を手伝っていた次男坊(注2)から、「私の発表抄録を見た」と事前にメールが来ました。M〇〇子」(注3)って記載がありましたので、ちょっと期待して会議にのぞみましたが、「〇子」は存在せず、懇親会で次男坊と発覚、腹抱えて笑いました。

森岡:今となっては笑い話ですね。ただし、時代がそんな時代でなかった。今度、その方をインタビューしてみます(笑)。

森岡:当時は基礎を研究するものは少なかったと思いますが、なぜ基礎研究を行おうと思ったのですか?

沖田:運動器疾患を中心とした急性期病院に就職したこともあり、拘縮も含めた関節可動域制限の治療に非常に興味があり、新人の頃は徒手療法といわれる様々な講習会に参加していました。先の○○セラピーもその一つです。 

森岡:私は1年目に1回きりです。講習会は後にも先にもそれ1回のみ(笑)。

沖田:拘縮に関して大きなショックを受けたのは、平成元年のPT1年目の時に長崎県地域リハビリテーション事業で島嶼部である五島列島在住の障害高齢者の方の在宅訪問の時です。

森岡:原爆病院にお勤めになっていたころですか?当時は地域リハシステムが整っていませんでしたが、それは先駆的ですね。

沖田:はい。その対象者は、これまで見たことのない寝姿で、全身が屈曲拘縮してしまっている、言い方が悪いでのすが、九の字に曲がった姿でした。4年ほど経験がある先輩PTと一緒に訪問したのですが、先輩PTが手掌をみて伸びかかっている爪を切るよう指導されていました。その時はいまいちピンときませんでしたが、手指が屈曲拘縮してしまうと伸びた爪で手掌面に傷ができ、そこから感染などを引き起こすことから指導されたようです(注4)

森岡:どうやら、自己の臨床時の強い感情体験が動機のようですね。

沖田:はい。この出来事が大きなきっかけとなり、先に話したように徒手療法に興味が高まり、あわせて足関節に関節可動域制限がある場合の歩行解析などを行い、拘縮に対して何らかの答えを探そうとしていました。でも、運動学系の実験は不向きなのか、全く答えが見つからず、月日だけが過ぎていったように思います。

森岡:そういや、最初はバイオメカ系、歩行解析で発表されてましたよね。私も、運動力学的解析とかしていた時代があります。

沖田PTですからね(笑)。そんな矢先、当時、本学のOT学科に所属されていた神経内科医の吉村俊朗先生と飲む機会があり、その際に脳卒中片麻痺はすぐに拘縮ができるが、末梢神経麻痺は拘縮ができないのはなぜなのかと問われ、即答できず、その後、いろいろ調べたところ、拘縮、特に筋の拘縮の病態や発生メカニズムはほとんどわかっていないことが判明しました。

森岡:知ってるつもりの世界ですね。そして、知らないのにやっている恐ろしさでもあります。

沖田:ほんと、そう。そこで、吉村先生に相談し、結果として指導を仰ぐこととなり、まずはラットで拘縮モデルを作るところから始め、基礎研究の道に進むことになりました。これが平成6年の冬頃かな?

 森岡:え〜と、おかげさまで現在は基礎を研究する者が増え、様々なところで科研費の取得などを聞くようになりました。嬉しい限りです。一方で、果たしてその研究は我々が行う必要があるの?基礎の学者に任しておいたほうがよいのでは?と思う内容もあります。臨床がまったくイメージできないのです。そういう意味で、何のための基礎研究であるかを、自省を含めて、あらためて考えるべき時であると思いますが、その現状について、そして、どうあるべきかについてお聞かせください。

沖田:全く同感です。PTOT教育が4年制大学となり、あわせて大学院教育も始まり、ハード面の研究環境は整いました。また、大学の業績至上主義が、ある意味、功を奏し、研究レベルも相当向上し、IF(注5)付きの欧文論文への掲載は当たり前になりつつあります。この点は非常に喜ばしい限りで、目指していた点でもありますので、自他ともに評価できるかと思います。

森岡:私も同感です。やっと、ほんと、やっと、医師や他の学部の研究者と方を並べても恥ずかくないレベルにきつつあると思っています。

沖田:でも、言われるように、最近の学会で発表を聞くと臨床というか、対象となる患者さんが全くイメージできない発表ばかりで、理学療法、リハビリテーション医療の基礎研究とは思いたくない発表が多くなってしまいました。

森岡:解析レベルは相当に高いのですが。

沖田:たぶん、自分らとは基礎研究の意義や目的が違うのかもしれませんが、この点は残念に思っています。まだまだ我々のアピールが十分ではないことは反省すべきですが、障害科学とそのメカニズムを基盤とした治療戦略の開発ならびに理学療法の臨床へのトランスレーションを真剣に議論すべき時期に来ているように思います。

森岡:最近は障害論をきちんと教育しない学校も増えてきました。これは、それを教えることができないという面と、そのようなことは必要なという面の両方があるように思っています。そのあたりはとても残念に思っています。

沖田:いずれにしても、教育は重要で、ベースとなる最低限の教育を誰しもが受けておく必要があり、機能障害に関する教育内容はPT協会のコアカリキュラムにも盛り込みました。

森岡:標準的知識とは何か?を考えるところにきていると思います。

森岡:その後、出会いのきっかけをつくってくれた理学療法の医学的基礎研究会は沖田さんが会長、そして私が役立たずの副会長でした。そして、我々の代を最後に、今の日本基礎理学療法学会へ展開されました。ある意味、橋渡しをして任務を終えました。今の基礎の学会に何を期待しますか?私は運動器の基礎、神経の基礎、内部障害の基礎であれば、統合してもよいのではないかと思っています。ある人たちには「レベルを一緒にするな」と、怒られそうですが(笑)。

沖田:実は、PT学会の分科学会への移行の際には、神経理学療法学会など、障害別の理学療法学会に基礎理学療法学会が取り込まれる可能性もあり、純粋な基礎研究の発表の場がなくなる危険性を回避する目的で強く反対しました。しかし現状、疾患別あるいは障害別の理学療法学会でも基礎研究の発表の場を広げてもらう戦略は打てていないようにも見え、この点は基礎と臨床が大きく乖離した要因でもあるかもしれませんね。今一度、分科学会のあり方を考える時期かと思いますので、この点は三男の頑張りどころですね。

森岡:私ですか??笑。ジョイントをいろいろ企てようとは思っています。そして、共同に提言するような形がとれないかと。分科学会の展開とあわせながら。

沖田:いずれにしても、今だからこそ、障害別の理学療法学会でも基礎研究の発表の場を広げていく戦略が必要ではないかと思います。このような場に発表に来る基礎研究者は臨床を意識していると思うので、そのようなメンバーと共同研究を発展させていくと、臨床も、そして基礎研究も互いに変わっていけるのではと期待しています。

森岡:未だ信念対立がありますので、私たちが現役の間になんとか。。とは思っています。内科学の背景には病理学、病理学の背景には生物学、その深さは、互いに尊敬しあっているからこそ生まれます。理学療法の世界も!ですね。

森岡:さて、我々の世代は、4年制大学での教育がされておらず、短大や専門学校の単位もある種認められず、大学に入り直した上で、大学院へと進んだりしました。また当時、私たち専門職関係の大学院は皆無で、別の学問体系に属しないといけませんでした。そういう意味で、今は恵まれていると思いますが、その分、きちんとした成果が求められるようになり、やっと他の学問に見劣りがないようになってきました。このようなプロセスに至るまでに、苦労した点をお聞かせください。

沖田:ほんと、苦労しました。先んじて考えていた者ほど苦労したように思います。ちなみに私は経済学部で修士号を取得しました。

森岡:経済ですか。私の次女はそっち方面です。あ、関係ないか(笑)。私は教育学で修士です。その後、博士は?

沖田:当時は、長崎大学大学院医学研究科は昼夜開講制とはなっておらず、独法化の前で国家公務員でしたので法規などに抵触するということで医学研究科の大学院(博士課程)には進学できませんでした。なので、教職員特別枠の研究生制度(研究歴認定制度)で吉村俊朗先生ご出身の第一内科学教室に所属させてもらいました。

森岡:いわゆる論文博士への道ですね。

沖田:はい。なんと7年もの研究歴の末、論文審査を受け、博士(医学)の学位を取得しました.

森岡:吉村先生はやはり尊敬できるお方ですね。ずっと在籍させるだけさせる人もいたりするので・・・最近は博士課程が充足され、ほとんどが課程博士だと思います。

沖田:はい。この業界で論博で教授職やっている方もだいぶ少なくなったのではないかと思います。吉村先生や第一内科学教室の先生方には、親切かつ手厚く指導いただき、研究経費も惜しみなく支出頂いきましたので、研究の進捗に関してはそれほどの苦労はありませんでした。ただ当時は、教職員特別枠の研究生制度(研究歴認定制度)で学位を取得した方が全くおらず、本当に学位がでるのか心配でした。

森岡:そういう意味では先駆的ですよね。私は高知医大(今の高知大学医学部)の博士課程に在籍していましたが、理学療法士では最初の在籍でした。周りはすべて医局の医師ばかりで、すごく劣等感を感じていました。英語能力などなど。。

沖田:ちなみに、この制度での学位取得者第1号が恩師である千住秀明先生です。 

森岡:へ〜そうなんですか。

沖田:学位取得後は愛知県の星城大学へ赴任しました。

森岡:はい。覚えています。同時期に移動を考えていましたもんね(笑)。

沖田:ただ、単身赴任に耐えられず(笑)、たった3年で佐賀の大学を経由し、長崎大学に着任しました。

森岡:単身赴任は、どうか、と私も思っています(笑)。私は一家引き連れて奈良に来ました。高知に家を建ててたのに。。子供も転校させました。長女には毎日まくらを涙で濡らしていた、と今言われています(笑)。長崎大学は母校ですが、戻られたあとは?

沖田:着任時、大学院修士課程は2年目の完成年度前でシステム的にも、内容的にも結構ひどいものでした。

森岡:言っていんですか?(笑)

沖田:いいですよ(笑)。え〜と、システム的な問題としては、学部を卒業してストレートで入学した学生でも、同時に就職が可能で「教育方法の特例による教育」が適用されていました。これでは、修士研究の質は向上しないと思い、翌年から学部卒業後3年以内の入学生は、昼間部の学生として上記の適用から除外し、研究に専念できるような環境に整えました。

森岡:なかなか厳しいですね。けど、あるべき姿だと思います。うちは私学なので、なかなかできませんが。。で?

沖田:修士課程の完成年度と併せて博士課程の設置を計画していたのですが、大学院の本体である医歯薬学総合研究科医療科学専攻の定員減が文科省に認められたばかりで、その折に保健学専攻を新規に増設し、定員を設けるのは許可できないということで門前払いとなりました。

森岡:これまた厳しい。

沖田:そこで、上記の医療科学専攻内に講座増設(リハビリテーション科学講座)という形態で博士課程を設けることになり、結果、4年課程の博士課程で、博士(医学)が取得できる大学院が設置されました。

森岡:それは意義ありますね。

沖田:はい。けど、このことによるデメリットは教育課程が1年長く、博士(保健学)あるいは博士(理学療法学)といった専門学位が取得できないことなどがあります。

森岡:医学は4年、ほかは3年ですからね。

沖田:一方、メリットは医療科学専攻の総定員数108名をうまく活用できること、ならびに学位論文が暗黙の了解でIF付きの英語論文であることとなどがあげられ、おのずとして研究の質が向上し、IF付きの英語論文の輩出が当たり前になったのは非常に良かったと思います。ただ、専門学位が取得できるシステムは学問体系を構築する意味でも必要ですので、今も継続して検討しているところです。

森岡:保健学系の場合、なし崩し的に、安直に学位をとらすのも聞いたりしますもんね。え、ってやつです。あんまり大きな声では言えませんが、博士学位というよりも、何を研究し、どのようなことを明らかにしたのか、が大事です。うちは、博士課程設立に反対の意見が多々あがりましたが、当時の研究科長の金子章道先生と、その意見を一蹴した記憶があります。金子先生のおかげで、安易に学位を取得させるべきではないという校風が出来上がっており、私学ながらなんとかへばりついています。うちも。

 

沖田実先生と金子章道先生。お二人は星城大学で一緒にお仕事をされていた。金子先生は星城大学後、畿央大学へ。沖田先生は、西九州大学へ。

 

森岡:さて、その昔、国際論文の投稿もエアメールにフロッピーディスクを入れて行っていました。私の学位請求論文もそうです。当時は、スライドもブルーバックで1枚1000円ぐらいかかっていました。だから失敗は許されないというプレッシャーがあったり。そういった苦労はありつつも、今ほど情報が多くなく、何を勉強すればよいか、何を引用すればよいか、わりとはっきりしていたと思います。そういう意味で、今の若手は情報をどのように使うかに苦労があると思います。情報リテラシーについて思うものがあれば!?

沖田:確かに情報を取捨選択する能力が求められていますね。そういう意味で初学者である学部教育の時代に間違った情報を提供すると、それを信じこんでしまうこともありますね。自分らはどこかで提供された情報が間違いであったと気づいた部類ですが、情報がなかったゆえにある特定の輩しか発言していないことはおかしいと思えたのかも?今は間違った情報を多勢で発信している傾向もあり、それが間違っていても気づかないままってことも多いのかもですね。いかに追試が重要か、それを伝えていくのも教育かな?

森岡:それ今一番やらないといけない教育かもしれません。ミスリードの矛先は対象者ですから。

森岡:話を変えて、我々は、先の神戸後、たぶん長野か群馬あたりの全国学会からサシのみをするようになりました。学会前日に二人で、学会初日に基礎のメンバーと、そして学会二日目には長崎と高知の研究室同士の交流会を毎年開催していたと思います。二人でのサシのみでは、毎回、愚痴のこぼしあいでした。「あいつたちは」などと(笑)。あのような経験は、互いに励まし合うとともに、互いの仕事に負けられないという意識を生み出したと思います。今でこそSNSを通じて全国各地の方々と交流できますが、当時はそのようなことがなく、互いのことを知るためには、頭一つ抜けたものを量的にも質的にも発表しておかなければならなかったと思います。研究領域ならびに出身が異なるもの同士の交流の意味・効果をお聞かせください。

沖田:サシ飲み始めたのは、長野学会(平成15年)からで。

森岡:さすがの記憶力(笑)。

沖田:前年の静岡学会(平成14年)は、高知の大所帯の飲み会に長崎の少人数メンバーが合流したんじゃなかったかと?

森岡:そうでしたっけ?

沖田:この業界、つながっていて近そうだけど、実は遠いって印象ですよね。腹の中で何を考えているのかよくわからないので、少し距離感をもって付き合っているような。

森岡:まあ、そうです。知り合いは多い(笑)。

沖田:そういう意味で、育った環境も場所も違うメンバーと意気投合するのは運命かもですが、今の若い世代をみるとなかなかそういった仲間と出会えていないような気がします。やはり、人の批判ができるようになるということは、成長のあかしでもあるので、「あいつたちは」は意味があったのかも?是非、そういう仲間を作ってもらいたいと思っています。

森岡:一方、現在は、SNSでキャッチーなことを発言すれば目立つことができます。本物と偽物を区別する意味はないと思いますが、ただ社会を知らないお人好しは騙されたりすると思います。それに対する何か思いがあれば。。

沖田:全く同感、先にも述べましたが、情報を取捨選択する能力を鍛えてやるのも教育ですね。これ本当に大事です。

森岡:まさか、運動器系と神経系がつながるとは思いませんでしたが、そういう意味で「日本ペインリハビリテーション学会」の設立は人生のエポックだったと思います。盟友の松原氏のおかげでもありますが、沖田さんは今、疼痛教育をどうするか、それに対する舵取りをしてもらっています。それに関して、少し?

沖田:疼痛に関する初学者教育は相変わらずひどいですね。この時代にアライメントがどうのこうのとかいっている輩がわんさかいて、さすがに嫌になります。

森岡:言いましたね。

沖田:でもこのことこそ、疼痛学教育の未実施の弊害かと思います。幸いPT協会のコアカリには整備できましたので、その実質化を評価することが重要かと思います。また、臨床家にも浸透させることが急務ですのでリカレント教育が非常に重要で、そのためにもファイザーのグラント事業(注6)を大いに成功させないといけないと思います。協力お願いしますね。

森岡:まずは協会なのか学会なのかはっきしさせないといけませんが、トップダウンに教育・カリキュラムを変える必要があります。もう適当に教えている時代ではないと思っています。第3者の民間のチェック機構の発動なども考えたりしています。ファイザーグラントは是非とも実現させて、コアをしっかりさせたいですね。向こう5年が勝負です。それを置き土産とし、引いていきましょう。

森岡:さて、最後に、これまでの研究室で明らかにしてきたこと、現在の研究室の動向や研究の紹介、さらに今後の展望の紹介をお願いします。

沖田:やはり、自身の研究のライフワークになっているのは拘縮の基礎研究(注7)で、骨格筋由来の拘縮に関しては、その発生機序に関わる最上流のメカニズムも分かってきています。これがわかれば、どのような介入を真っ先に行えば良いのか、拘縮が少なからず予防できるのかといった問いに回答できるのではないかと思っています。いわゆるメカニズムをベースとした介入戦略の展開につなげていきたいですね。

森岡:まさに原点回帰ですね。離島での経験を、ここで結実される時期かもしれません。

沖田:はい。また、最上流とは異なったメカニズムが拘縮の進行に影響することも分かってきており、これらの研究を通じて、きっかけとなったような重篤拘縮例をできる限り少なくしたいと思っています。また、このことは最終的には人の尊厳に関わりますので、基礎研究の成果を終末期リハビリテーションの現場にトランスレーションするための共同研究も続けていくつもりです。

森岡:私も「人間とは」「人の尊厳とは」「リハビリテーションとは」が今一番興味があるテーマです。行き着くところはそこですね。基礎の研究をやったからこそ見える世界もあります。

沖田:当然、疼痛に関する研究、教育も継続していきます。特に、不活動性疼痛のメカニズムに関しては末梢のみでは説明がつきませんので、この点は是非、三男の恩師の宮本省三先生に「拘縮研究も脳のことを考えてほしい」と言われたことの答えはこの辺りにあるように思ってますが、いかがでしょうか?

森岡:回り回ってそこにたどり着きましたね。脳だけでもダメ、身体だけでもダメ、環境だけでもダメ、なわけだと、今は思っています。痛みにしても拘縮にしても麻痺にしても、その細部をみても答えがでないことがあったりです。そういう意味で「リハビリテーション」の世界に属していて、今になって良かったと思っています。互いに、もう10年、完結したいですね。

森岡:互いに年齢を重ね、出会ってから20年以上。互いの子供も成人したり、自立したりですね。互いの子供は留学したりで、親の英語能力をひょいっと超えていきました(笑)。もう少ししたら隠居生活をしたいですよね(笑)。

沖田:ほんと、すごい勢いで親を超えていきますね。近頃、SNSを騒がせているようで申し訳ないです(笑)。

森岡:よく見ますよ(笑)。頼もしい限りです。

沖田:でも、自分らでは到底できなかったことをいとも簡単にやってしまう、本当に「環境!」って改めて感じています。好き勝手言ってたら長くなりました。このバトン、次男に渡します。

森岡:あらそうですか?笑。今日はありがとうございました。

 

 

長崎で開催された日本疼痛学会前夜に久しぶりにサシ飲み。

 

注1  河上敬介先生(現・大分大学教授、当時名古屋大学)が会長として設立された研究会。その後、日本基礎理学療法学会に。

注2  実際の次男ではない。沖田氏が長男、森岡が三男、そして注3に出てくる方が次男。年齢の微妙な違いからこのように称している。

注3  現・一般社団法人日本ペインリハビリテーション学会理事長、神戸学院大学教授のこと。日本にペインリハビリテーションの土台を築いた方。

注4 沖田先生はこのような体験から、著書としてまとめられています。

注5 impact factor、雑誌の影響度、引用された頻度を測る指標

注6 ファイザー株式会社にける疼痛治療教育グラント採択事業。(一社)日本ペインリハビリテーション学会としては、「日本のペインリハビリテーションを担うセラピスト育成のためのリカレント教育プログラム」の作成を担っている。リハビリテーション医療従事者に向けたリカレント教育プログラム(教育講演、e-learningコンテンツの作成など)や患者教育のためのビデオ・リーフレット作成を行う予定。

注7 沖田先生は原著のみならず、研究室で調べた成果を関節可動域制限-病態の理解と治療の考え方(三輪書店)」に書籍としてまとめられている。ミスリードのない情報にとどめられている名著である。

 

 

沖田 実 教授: 長崎大学大学院医歯薬学総合研究科 運動障害リハビリテーション学研究室

業績集

 

 

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