河村章史さん

森岡:お、同い年、登場ですね(笑)なんか一言(笑)!?

河村:いきなり、、ですか。厳密には僕の方が半年おじさんです(泣)。

 

 

森岡:数カ月ですね。

河村:森岡先生を初めて認識したのはなんといっても緑本(注1)です。当時、臨床を進める上で何を拠り所にしていったらよいのかモヤモヤとしていて・・・、ちょうどそんなときに緑本と出くわして当時の同僚と一緒に「これだっ!!」と。あれは、相当な衝撃を受けた記憶があります。「自分もちょうどこれと同じようなことを考えるとこだったんだ」と(笑)。

森岡:もうだいぶ時間がたったよね。お互いにおじさんになってしまった。血気盛んな批判ばかりしてた時代がなつかしい。。

河村:確かに。。ああ、第1版は2005年発刊だからもう15年になるんですねぇ。私にとっての緑本は20歳のときに読んだBatesonの『精神の生態学』(注2)や、20代後半で読んだAndreasenの『故障した脳』(注3)と同じくらいのインパクトで、その上に巻末の執筆者欄を見て「ちょっとだけ年下やんかー!!」と2度びっくりしたという。あのときはもう、自分は一体何をやっているのかという情けない気持ちでいっぱいになりました。あんな感情で本を読んだのは後にも先にも緑本だけですね。

森岡:それは大げさな。。ベイトソンと同列に並べたら様々な方面から怒られると思います。そこと比べると、あまりにも貧素に見えてしまう。まだまだ精進しないと、ですね。しかし、あんな本、いつになったら書けるんだろうね。。

森岡:ところで、そういや、なんでうちの大学院にきたんですか?もうだいぶ前なんだか忘れてしまった。。

河村;緑本を読んだ時期、ローカルで小規模勉強会を運営していたのですが、年1回は注目の大物ゲストを呼ぶことをモチベーションにして活動していました。緑本と出会ったときに、次のゲスト講師は絶対に緑本の森岡先生を、日本最後の秘境?岐阜県にまでお越しいただこうと(笑)。結果として、呼ぶことができ、例年はゲスト講師でも100人規模の会だったのが、なんと250人超!今となっては、残念ながら調べる術がないのですが、岐阜県で1人のセラピストが集めた講演聴講者数の最高記録なんじゃないかと思ってます。講演の内容も1日でおしまいではなく、もっと拝聴したいと。それと前後して畿央大学の大学院が立ち上がって「もうこれは行くしかない」ということになり、入学を決意し、2期生としてお世話になりました。

森岡:岐阜から通って大変でしたか?研究室に寝泊まりしてた時もあったような。。

河村:いえいえ、さすがに寝泊まりはしてないです。それは同じ河村でも民平さんの方じゃないですかねぇ(注4)

森岡:そうでしたっけ?fNIRSの部屋に泊まってたような。。

河村:でも実験のときは被験者の送迎もあったので、朝4時に自宅を出て、人を拾いながら軽自動車で奈良までの峠道を疾走し、1日大学でデータ取りをして、帰宅したらとっくに日付が変わっているという生活を1週間に3回敢行したこともありました。確かにこれはもうほぼ大学に住んでるんじゃないかという感覚でしたね。しかも、日中はずっと真っ暗なNIRS部屋にいたので、畿央大学の思い出の半分は往復の暗い道と真っ暗な部屋という・・・

森岡:まあ基礎の実験はそんなもんですね。それが快感になってくる場合もあったり(笑)。行う研究の分野、スタイルも個性が関係しますしね。

森岡:ところで、修士論文、英語で書かれましたが、おもいきりましたよね?うちでは、その後、高村さんと西さんが英語での修士論文を続きました。後にも先にも、その3名だけです。畿央大学大学院修士課程では。

河村:今も大して英語力はないですが、当時はもっと拙くて、1報読むだけで結構疲弊してたんですよね。それでも当時の最大努力で読み続けて、修士課程を修了したときに精読しきった論文を積み上げたらそのすぐ横に立て掛けたテレキャスターのヘッド部分よりも論文の方が高くなってしまいました。比較基準が変ですね(笑)。

森岡:ジャズベースまでいかなかったか、、残念。。(笑)

河村:そうやって貧相な英語力でもって論文を読み込んでいるうちにだんだんと「これ、訳してまとめて日本語で論文書くのって非効率なんじゃないか?英語のまま読んで英文で論文書いちゃったほうが訳さなくていいから楽なんじゃないか」って。冷静に考えれば日本語で書いた方が絶対楽なんですけど、当時はそう勘違いするくらい思考が煮詰まってたんでしょうね。だから決して最初から英語で書くという強い決意や信念があったわけではなくて、手間を端折りたいという不純な動機でしたが、結果的に「自分でも英語で文章が書ける」という自信がつきました。それはひどいものだったと思いますが、多少不出来でも外に出すだけ出して、批評を受けて改善するという、現在のマインド・セットは、あのとき畿央大学で確立されたんじゃないかと思っています。

森岡:研究科長の金子章道先生(注5)が審査委員でしたし、ね。

河村:そうですよ〜思い起こせば、初めての国際学会参加も、森岡先生が「ちょっとコンビニ行ってきて」くらいの感覚で後押ししてくださったのがきっかけで、プライベートを合わせても、2回しか海外に行ったことがなかったのに訳も分からず勢いだけで行って、失敗だらけでしたけど、やっぱりそれを超える達成感が得られたのも事実です。やっぱり、森岡先生には緑本のときからずっと「まず行動してみること」の大事さを教えられてきたんだと思います。ああ、でもこうやって考えると、論文を英語で書いた動機の中には、少しでも森岡先生に近づきたいという思いもありましたね、やっぱり。

森岡:信貴山でのゼミ合宿で英語でプレゼン開始して、5分で日本語に切り替わったりしましたけどね(笑)。

森岡:では真面目に、脳イメージング研究を続けてきたけど、自分自身の変遷と、そこでわかったことは何かありますか?

河村:私が作業療法士の資格を取得したときは、一療法士が脳画像を扱うなんて夢物語でしたけど、畿央大学でのNIRS研究の経験がそれを身近なものにしてくれました。今ではもうNIRSに限らず、MRIやEEGなどでの研究は全然珍しくないですよね。ただ数年前に、横浜で、作業療法の国際学会に参加したときに、台湾の作業療法士から「日本人はやたらと脳画像研究をしているけど、これは普通のことなのか?」と質問されたので、作業療法に限っては、世界からみたらちょっと独特の発展をしているのかもしれません。

森岡:PTとかOTの専門職の国際学会は特にそれを思います。日本の方がまだ基礎研究者とコラボしている感じはあります。あんまりここではいろんな意味で発言はできませんが(笑)、学会のレベルは色々と感じますよね。

河村:畿央の修士課程を修了した後に、SPECTとPETの解析研究に取り組む機会をいただきましたが、MRIと違って、SPECTとPETの解析方法はほとんど情報がないんです。でも畿央でのNIRSの経験がここでも活きて・・・、NIRSも解析も当時は情報がなくてほんとに困りましたので。でもそれがあったから撮像機器が変わってもなんとかなるんじゃないかと思っていました。

森岡:当時はすぐに島津製作所に電話してましたからね。卒論レベルのでの実験でも。

河村:いくつかのイメージング機器を扱ってきて、もちろん機器の違いによって得られるイメージも異なってきますけど、それよりも、毎回感じるのが被験者個々人の違いです。集団解析をかける前には原則個人解析をするのですが、その度に「ああ、人によってこんなに違うんだ」と。もちろん集団解析によってわかる全体的な傾向も重要なんですけど、出自が臨床なのでどうしてもそっちに目が向いてしまうんです。

森岡:研究をして一番感じるのはそこですよね。むしろ、綺麗なデータに対して「ほんまか」と思ったりもする。もちろん、自分の測定スキルに影響される部分もあるので、それは臨床と同じですが。

河村:その通りで、インパクトのある脳イメージング研究をするためには、本人の能力や技能が問われるのは当然で、それ以外にも、研究組織や研究環境がでかいのに越したことはないというのが率直な感想です。

森岡:仲間は大事です。

河村:その辺りは、もう私がかつで想像できたものよりも、何百倍も大きいスケールで森岡先生が具現化されておられるし、若い優秀なスタッフや院生も集まっておられるようですので、もうそこには敵わないから、そちらにお任せすべきだと(笑)。ですので、現在は町工場的な環境でも実現できて、個々の対象者にフィットした介入を目指していくような研究にシフトしています。

森岡:やるべき仕事が変化することは大事だと思います。うちも優秀なのが出てきて、そっちに任せた方がよいのはいっぱいあるし、けれども、彼らにはできない仕事がこっちにはあるので。要はシステムですね。

森岡:ところで、畿央大学大学院修士課程修了した後、岐阜大学大学院博士課程で、篠田先生のところでやった仕事を紹介してください。

河村:岐阜大学大学院では脳病態解析学という講座に所属していました。この講座は研究室の本体が岐阜大学とは別の医療施設内にあり、交通外傷による脳損傷患者と脳腫瘍患者の脳画像解析が研究の主軸でした。そこでは外傷性脳損傷患者のSPECT・PET画像解析をテーマとして与えていただいたのですが、特に交通外傷によると推測される後遺症が残存しているにも関わらず、MRIなどの構造画像には病変がまったく認められないような患者さんに関して、PETやSPECTなどの機能画像だったらなにか異常を検出できるのではないか、それが見つかればより適切な医療介入に繋げられるのではないかということで、結構膨大な量が蓄積されていた撮像データをレトロスペクティブに解析しました。

森岡:そういう仕事は大切です。医学研究においては、前向きでなく後向きの調査ってほんと大事なんだけど、なぜかリハの臨床系はそれをあんまりやらない・・

河村:その結果、MRIなどで異常がみられるびまん性軸索損傷の患者群では、大脳半球傍矢状領域を中心として糖代謝の低下がみられるのですが、それと比較して、MRI病変のない患者さんでは、糖代謝低下領域がもう少し広がって前頭葉背外側領域にまで及んでいることが確認できました。逆に、辺縁系領域での異常な糖代謝の亢進も認められたのですが、この糖代謝のトポグラフィック・パターンが大うつ病のものに近似していることがわかりました。

森岡:撮像方法によって変わるんですね。解像度の良し悪しを決めず、むしろ代謝を見た方がわかるわけですね。何を見たいのか、につきますね。

河村:そこから、慢性期になっても持続する症状の背景には、そうした精神疾患と共通のメカニズムがあるのではないかという仮説を立てたところまでが私の仕事です。この結果は Journal of Neurotrauma誌(注6)に掲載されました。また、この研究と同時期に博士課程の指導教授が交通事故時に脳にどのような衝撃が加わるのかをコンピュータでシミュレーションする研究に取り組んでいて、そこで得られていた損傷のエピソードと私のPET解析の結果がよく合致していたということで、かなり規模の大きい研究に対してひとつの根拠を提供することができた研究でもありました。

森岡:篠田淳先生、今年の日本ニューロリハビリテーション学会で大会長でしたよね。私もシンポジウム講演で呼ばれていましたので、ご挨拶しようと思っていましたが、残念です。先生が一番悔しいと思いますが。機会があればジョイントをしたいです。

森岡:さて、今後、作業療法はどのようにあるべきか?先生らしく!

河村:作業療法界っていつの時代でもアイデンティティ・クライシスが深刻で、外部からも「作業療法ってなんなんだ?」と問われるし、内部でも「あんなのは作業療法ではない」と口撃し合ったり。

森岡:確かに、いつも時代も。。

河村:個人的には、誠実に科学的根拠に基づいて実施した結果、対象者の人生や生活に対して十分な貢献ができればそれが作業療法だと思いますし、何なら作業療法でなくたっていいとさえ思っています。対象者のためになっているのであれば。それをより高水準で達成するためには、やっぱり最新の科学的知見に精通しないとダメだし、技術的にも新しく出てきたものを貪欲に吸収していかないといけませんよね。

森岡:はい。そういう意味で、いつまでも勉強し続ける必要がありますし、それを続けるグリットも必要です。

河村:そう思って、現在はIT機器を作業療法に導入しようと、プログラミングの勉強をしています。C言語から始めてC#、Pythonをちょっとずつかじって、最終的にSwiftで神経心理学検査のアプリケーションを自作しました。これをもっと進めて、患者さんがタブレット端末を使って、ゲーム感覚で自宅訓練できるようなシステムの開発を目論んでいます。折しも新型コロナウイルスの影響で、生活様式の見直しに迫られていますが、今それができていれば、少しはこの状況に貢献できていたはずなんです。修士課程時代に森岡先生からスピードも大事ということを繰り返し指摘されましたが、本当に仰られる通りだと、今更ながら痛感しています。

森岡:スピードと正確性、両方を追求するのは難しい。スピードは良し悪しもありますが、ただ生きている間にパラダイムが変わらないと、ですね。

河村:現在は、プログラミングに手を出したついでに、情報発信も重要だと思い自分のホームページも自作を始めましたが、まだまだ勉強しはじめでHTMLのテキストベースで工事中だらけという惨状で、思うように手がつけられずモヤモヤしていたんですよね。そのタイミングでこのインタビューのお話をいただいて、森岡研究室のホームページを拝見して、なんてスタイリッシュなHPなんだと。また森岡周だ!!と。私の人生の節目にはいつも森岡先生が現れて格の違いを見せつけられて、その距離が年を追うごとにどんどん離れていくんです。いやもう勘弁してくださいっていう感じですよ(笑)。でも、東大の池谷先生もそうですけど、同級生にそういう憧れるような存在がいるって、本当に幸せなことだと感謝しています。

森岡:池谷さんは別格です。彼のような研究とアウトリーチの両方を担う人材が私たちの業界にも必要なのかも。今日は楽しい話を聞かせてもらってありがとうございました。互いに残りが少なくなってきつつありますが、よい仕事を期待しています!

 

河村 章史(こうむら あきふみ)さん: 平成医療短期大学リハビリテーション学科作業療法専攻 教授

 

 

 

(注1)リハビリテーションのための脳・神経科学入門第1版(協同医書出版)のこと。

(注2)グレゴリー・ベイトソンによる思索社(1990)から出版されているもの。

(注3)ナンシー・C・アンドリアセンによる紀伊國屋書店(1986)から出版されているもの。

(注4)2期生に同じ河村と書いて「かわむら」という者が在籍。かわむら民平さんは、現在は福井医療大学(言語聴覚専攻)で専攻長として勤務している。

(注5)当時の畿央大学大学院健康科学研究科長、国際生理科学連合会長、日本生理学会長を歴任。網膜に関する生理学研究では世界的な権威。

(注6)Komura A, Kawasaki T, Yamada Y, Uzuyama S, Asano Y, Shinoda J. Cerebral Glucose Metabolism in Patients with Chronic Mental and Cognitive Sequelae after a Single Blunt Mild Traumatic Brain Injury without Visible Brain Lesions. J Neurotrauma. 2019 Mar 1;36(5):641-649.

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